「触常者として生きる」の記事が毎日新聞デジタル版にアップされました。

2020/06/27

それでも「濃厚接触」を続ける 全盲の人類学者が訴える“触”の大切さとは

毎日新聞2020年6月27日 11時30分(最終更新 6月27日 11時30分)

清水有香

「さわる文化」の意義を発信する国立民族学博物館准教授の広瀬浩二郎さん=滋賀県甲賀市の県立陶芸の森で2019年7月(本人提供)

 

世界よ、さわることを忘れるな――。コロナ禍で「接触」が避けられる今、全盲の人類学者で国立民族学博物館(みんぱく、大阪府吹田市)の広瀬浩二郎准教授がそんなメッセージを発信している。京都の出版社・小(ちい)さ子(ご)社のホームページで5月から始まった連載コラム「それでも僕たちは『濃厚接触』を続ける!」。広瀬さんは「人や物に触れて日常生活を送る視覚障害者にとって昨今の風潮はつらい。この機会に『濃厚接触』のプロである視覚障害者が“触”の大切さを発信すべきだと考えました」と語る。【清水有香】

接触はコミュニケーション

さわる、とはなんだろう。「ありふれた言い方ですが、接触はコミュニケーション。対面で話すことも『触れ合い』だし、さわるという言葉の奥には『交流』の意味があります」と広瀬さん。「僕の人生を振り返った時、本を読むにも誰かに読んでもらったり、海外出張も案内の手のリレーに支えられていたり。いかに多くの人との関わりの中で生きてきたかということを考えざるをえません」。連載名の「濃厚接触」には「たくさんの人との触れ合い」との思いを込めた。

マスクの着用やソーシャルディスタンスを習慣化するコロナ禍は、「視覚以外の感覚を総動員する」広瀬さんの生活に大きく影響しているという。「普段は風の流れや白杖(はくじょう)の音の響きで道を把握しますが、マスクをすると勘が狂う。耳にゴムがかかるせいで聞こえ方も違ってきます」。複数参加のオンライン会議は「息づかいや口調の微妙な変化で相手の気持ちを推測するのが難しい」となかなか慣れない。

展示物にさわって楽しむ「ユニバーサル・ミュージアム」の構想を掲げる広瀬浩二郎さん。手に持つのは今年1月に刊行した『触常者として生きる』=大阪府吹田市の国立民族学博物館で2020年2月(本人提供)

 

押しつけではないマナー

自身の近況や「さわる文化」の考察をつづる連載は、「新たな触れ合いのマナー創出に向けて」と題された一節から始まる。「マナー」としたのは「上から押しつけられるルールではなく、自分の心の中から湧き上がる作法を考えたい」から。念頭にあるのは自身が研究する盲目の女性旅芸人「瞽女(ごぜ)」ら近代化以前の芸能者の世界だ。「芸能者の周囲にいる人たちは目の見えない彼女たちを自然に手助けした。そして唄を聴きたい、聴かせたいという思いが重なり合って何百年と続く素晴らしい芸能が生まれた。その関係は今の障害者/健常者といった二項対立とは違う気がします」

視覚優位たかだか250年

江戸時代以前、全身で情報に触れて生活することは珍しくなかった。「たとえば夜。街灯のない夜道を歩く時にはみな五感をフル活用していた」。だが近代に入り「視覚中心の社会」が生まれた。「『より多く、より早く』という価値観が重視され、大量の情報を一瞬で伝えられる視覚が優位になりました」。はりやきゅうで触れた身体の内部がレントゲン撮影で瞬時に把握されたように、近代化は「世界の可視化」と重なる。「でもね、日本の歴史を振り返ると、視覚優位の社会はたかだか250年なんですよ」

見る/見せる展示を自明とする博物館施設は「近代文明のシンボル」とも指摘する。その前提を再考し、「さわる文化」の実践の場として広瀬さんは「ユニバーサル・ミュージアム」を構想。「みんぱくには生活用具がたくさんありますが、生活の中で使っていたものを距離をもって見るのは本来は不自然。むしろさわることでその意味や価値が分かるはずです」。コロナ禍の影響で、今秋から来秋に延期されたみんぱくの展覧会「ユニバーサル・ミュージアム―さわる!“触”の大博覧会」では、すべてさわれる展示物で構成する予定だ。

「さわること過度に恐れる必要ない」

「さわれない」日常は、近代が置き去りにしてきた「さわる文化」をますます遠ざける。広瀬さんは「感染拡大を避けることは大前提」とした上で、「現状の対策は見えないウイルスへの恐怖による過剰反応がある」と考える。「それぞれが節度を持ち、消毒を心がければさわることを過度に恐れる必要はない」と。さらには「『さわらない』だけでなく『さわらせない』というルールが広がっている」ことに違和感を持つ。「逆説的ですが、さわれない不自由を出発点に、なぜさわるのか、についてじっくり考える機会にしたい」

私たちは自発的なマナーで“触”を通した「交流の感覚」をこの身体に取り戻せるだろうか。「僕たち」を主語に、「さわることの意義を再認識しよう」と呼びかける広瀬さんのメッセージは、人々にあまねく向けられている。

 

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