荒井裕樹氏講演「“言葉“から読み解く優生思想」

2018/12/26

平成30年12月1日、花田春兆展の締めくくりとして、荒井裕樹氏(二松學舎大学専任講師)による記念講演が行われた。
荒井氏は冒頭から、「もし花田春兆氏がいなかったら、日本に障害者運動は起こらなかったのではないか」という、衝撃的な言葉を投げかけた。しかもこの発言は、花田氏の盟友であり、かつライバルでもあった横田弘(青い芝の会)によってなされたものであると言う。確かに花田氏は人脈作りの天才であり、現に学生時代純粋な国文学徒であった荒井氏は、花田氏の強力な吸引力の渦の中に巻き込まれ、いつの間にか弟子兼私設秘書になっていたという。その結果、研究テーマはおろか人生の道筋も、大きく修正を余儀なくされてしまったのだ。しかし、横田氏の発言の趣旨は、単に花田氏のこのような人たらしの側面を指すものではない。
それは、花田氏が自宅を開放して創刊した「しののめ」誌が、障害者の綴り方による文学・政治を含む、総合的な運動として発展していったことに由来する。障害者が心の奥底に宿している本当の思いを表現するためには、多くの壁が存在する。例えば、原稿を編集部に郵送しようとする際には、家族の手を借りねばならず、自ずと家族の目に触れることを意識するため、当たり障りのないことしか書けなくなってしまいがちである。このような暗黙裏の抑圧から解き放たれるためには、大きな勇気が必要であり、これはなかなか一人ではなしえないことである。「しののめ」は、このような家族を含む目に見えない社会の抑圧から解放されるための、起爆剤たりえたのである。そして、このような自由な表現によって解放された障害者たちの意識変革の蓄積こそが、後に、「母よ、殺すな」によって家族とも対峙する青い芝の思想へとつながっていくのである。「しののめ」は、まさに障害当事者の本音が引き出された作品の宝庫であり、本講演のテキストに掲載された作品に対して、荒井氏は鋭い分析を加えていく。例えば、男性障害者が「人間」という言葉を多用するのに比べ、女性障害者は自らが「女」であることを起点に思いを綴った作品が多いことに着目する。
本講演の「“言葉“から読み解く優生思想」というタイトルからも明らかなように、荒井氏が問題視している「優生思想」とは、最近話題になっている不妊手術や出生前検診などのように、医療分野にかかわるものに限られない。また、荒井氏は「優生思想」はもともとは否定的概念ではなかったという点も指摘している。ここでいう「優生思想」とは、もっと広義の、いわば社会全体を覆い尽くす空気のようなものをさすのではないか。それゆえに、多くの場合、家族や施設職員によって、善意や愛情の仮面を被って立ち現れるため、なかなかその本質をつかみきれないのである。それを突き破る有効な手立てとして、花田氏たちによる綴り方という企てがあったのである。そしてこの企てには、多くの共鳴者が生まれ、その結果社会的影響力も持ち得たのである。
筆者の個人的感想に過ぎぬが、「綴り方」と聞いて、無着成恭氏らによる「綴方教育」を思い起こす人が少なくないのではないか。これは、学校などにおいて意図的,計画的に文章表現の能力の育成をはかる教育の総称とされているが、広義では、貧しい家庭に育ち教育の機会が十分に与えられなかった子どもたちの能力開発に主眼が置かれたものであると言えよう。一方、「しののめ」における綴り方運動にもこういった側面がないとは言えぬが、すでに述べてきたように、重点はあくまで人間解放にあったのである。この二つの綴り方運動は、その後の障害者運動の道筋をも示唆しているようにも思われ、興味深く感じられたのである。

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